2010年 03月 21日
子供が小さカッター頃 思い出③
これ カッターです。長樂の働き手として40年あまりたつ。
私が 山中へ来てから3,4年たってから 購入したものだ。
同業者の方から これは便利だからと見せられ 買った カッター(おやじギャグだ~)です。
それまでは 手作業のキャベツ刻みだったのが 仕事が早いこと・・・
あの頃の 営業時間は夜中3時頃までしていた。
住まいは 店のすじ向かいに借りていた。
長男は 店の調理場の狭い片隅の乳母車の中か 家に一人で寝かせていた。
お父さんには 聞こえなかったが 私には泣き声が離れていても すぐ分り 店と家を行ったり来たり
お客があると 父さんは仕事せい~って怒るし 子供の所へ飛んで行きたいし・・・
1歳頃には 自動車の中に一人で 遊ばせていた。
通りすがりの人が 「可愛そうに ほったらかして~」の言葉を どんな思いで聞いていたことか・・・
あの頃の 私はいつも泣いていたな~(もともと泣き虫なんだけど)
そして二男が 生まれてからの長男は 2歳半違いの兄貴として よく面倒をみてくれて大助りだった。
こんな事があったな~
「ストーブがって」店に飛び込んできた長男。まだ3歳だった。
まだハイハイ出来なかった二男と二人を残し ストーブの上にやかんを乗せて 店に出ていた。
やかんの お湯が沸騰した音に 咄嗟にとった手段が今も絶対忘れない。
急いで 家に入ると 二男を 玄関まで 引っ張って来て ストーブの部屋の戸を閉め私を呼びにきたのだ。
長男の 行動に感心したとたん こんな仕事は厭やって 心底思った。
せめて ばぁーちゃんが 居てくれたらと 涙が止まらなかったことを思いだす。
子供たちが 小さかった頃は 私の睡眠時間は2、3時間ぐらい
店の掃除が済むともう夜中の4時頃 子供は朝早く起きて活動するしで・・・
あの頃は出前もしていた。娘が 生まれた年は大雪だった。
生まれる前日まで働いていた。(どの子の時も そうなんだけど)
屋根雪を下した狭い雪道を大きなお腹と 重いタジを持って一歩 一歩緊張しながら・・・
思いだしたら きりがないね そして又涙が 出そうになるからもうやめよう。
でも つらいことばっかりじゃなかったよ。 嬉しいことも 楽しいことも一杯あったから。
46年娘が生まれた年の秋、東町2丁目に引っ越した。
これで 子供たちといつも居られるんだと どんなに嬉しかったことか・・・
そんな こんなの日々を このカッターがずっと見てくれている。
二回の 刃の取り換えだけで、今でも現役で 働いている。
カッターを使っているのは 私だけ お父さんは絶対って言うほど 使わないのだ。
カッターくん まだまだ私と一緒に頑張っていこう~(●^o^●)
by choraku2
| 2010-03-21 23:56
| 思い出すんね~