長楽Kaーちゃんの  いっぷく部屋

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カテゴリ:思い出すんね~( 4 )

なにか分らないけど 急に汁団子が 食べたくなる。
汁団子 すなわちスイトンのことだ。

子供の頃よく夕飯に これがでてきた。
米がなくて ご飯が炊けず 代用だ。 すなわち代用食ってこと。

その当時 必ずしも大好きだったわけではなかった。
それしかないから 食べていただけなのだ。

それが 親になってからだ。急に食べたくなりだしたのは。
いろんな野菜を入れ 店の餃子の粉をササっと練り しゃもじですくって鍋に落とすだけ・・・
いとも 簡単な料理。
餃子の粉は 強力粉だからむっちりして 餅みたいになる。だから美味しい。

でも あの頃の粉は どんな物だったんだろうか?
そして 具は何が入っていたのかも 覚えていない。
その 粉も野菜も 親はどんなにか苦労して調達したことか その頃は知るよしもない。

他に代用食っていえばは うどんだった。
練った粉を 薄く延ばして 細く切っていく。
これは 手間がかかるから 毎日忙しい母親はたまに作ってくれた。
これは 嬉しい晩ごはんだった。
だから 今もうどんばっかりの毎日でもいいわ~になったのかもしれない。

そして これも年に何回かのご馳走が・・・
使いの役は 姉と私行き帰り1時間程かかる製麺やさんにうどん玉を買いにいくのだ
今みたいに ナイロン袋ってない。
新聞紙に直に生のうどんを包んでくれるのだ。うどん玉が新聞紙にへばりついている。
汚いって 思わないご時世だったんですね。
自家製じゃない うどんの日は最高に嬉しいかった。

我が家が 特別貧乏だったのか? それとも周りもそうだったのか? 子供には全く関係なかった。
親子6人 汁団子でもうどんでも飯台を囲んで 学校の話やら遊んだ話やらをしながら・・・
思い出したら ウルウルしてくる。

だから 無意識に食べたくなるんだろうか・・・
こんなおかずを作っても 息子もお父さんも黙って食べてくれる。
時には おかわりまでしてしてくれる。 
単なる 何もおかずが無いから仕方なし? それとも粉好きがkaーちゃんにうつったのか?
これからも 何回となしに作ることだろう・・・・覚悟の程を(●^o^●)
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by choraku2 | 2010-04-20 23:55 | 思い出すんね~
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これ カッターです。長樂の働き手として40年あまりたつ。
私が 山中へ来てから3,4年たってから 購入したものだ。
同業者の方から これは便利だからと見せられ 買った カッター(おやじギャグだ~)です。
それまでは 手作業のキャベツ刻みだったのが 仕事が早いこと・・・

あの頃の 営業時間は夜中3時頃までしていた。
住まいは 店のすじ向かいに借りていた。
長男は 店の調理場の狭い片隅の乳母車の中か 家に一人で寝かせていた。
お父さんには 聞こえなかったが 私には泣き声が離れていても すぐ分り 店と家を行ったり来たり
お客があると 父さんは仕事せい~って怒るし 子供の所へ飛んで行きたいし・・・
1歳頃には 自動車の中に一人で 遊ばせていた。
通りすがりの人が 「可愛そうに ほったらかして~」の言葉を どんな思いで聞いていたことか・・・
あの頃の 私はいつも泣いていたな~(もともと泣き虫なんだけど)

そして二男が 生まれてからの長男は 2歳半違いの兄貴として よく面倒をみてくれて大助りだった。
こんな事があったな~
「ストーブがって」店に飛び込んできた長男。まだ3歳だった。 
まだハイハイ出来なかった二男と二人を残し ストーブの上にやかんを乗せて 店に出ていた。
やかんの お湯が沸騰した音に 咄嗟にとった手段が今も絶対忘れない。

急いで 家に入ると 二男を 玄関まで 引っ張って来て ストーブの部屋の戸を閉め私を呼びにきたのだ。
長男の 行動に感心したとたん こんな仕事は厭やって 心底思った。
せめて ばぁーちゃんが 居てくれたらと 涙が止まらなかったことを思いだす。

子供たちが 小さかった頃は 私の睡眠時間は2、3時間ぐらい
店の掃除が済むともう夜中の4時頃 子供は朝早く起きて活動するしで・・・

あの頃は出前もしていた。娘が 生まれた年は大雪だった。
生まれる前日まで働いていた。(どの子の時も そうなんだけど) 
屋根雪を下した狭い雪道を大きなお腹と 重いタジを持って一歩 一歩緊張しながら・・・
思いだしたら きりがないね そして又涙が 出そうになるからもうやめよう。

でも つらいことばっかりじゃなかったよ。 嬉しいことも 楽しいことも一杯あったから。
46年娘が生まれた年の秋、東町2丁目に引っ越した。 
これで 子供たちといつも居られるんだと どんなに嬉しかったことか・・・

そんな こんなの日々を このカッターがずっと見てくれている。
二回の 刃の取り換えだけで、今でも現役で 働いている。
カッターを使っているのは 私だけ お父さんは絶対って言うほど 使わないのだ。
カッターくん まだまだ私と一緒に頑張っていこう~(●^o^●)
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by choraku2 | 2010-03-21 23:56 | 思い出すんね~
昭和39年 東京オリンピックの年だった。
私が、餃子なる食べ物に お目にかかったのも 食べてみたのも お初だった。

その年の5月5日に長樂を知り その月の25日に山中に来た。
その間たったの20日です。

いきなり 餃子の仕込みです。
何が何やら???
白菜とキャベツの違いが分らず ニンニクって?何の肉なんやろう(冗談じゃなく 本当にそう思った)
ニラって 見たことも無かった。
凄まじく何も分らない状況のなかでの仕込みだった。
キャベツ、玉ねぎ ニラなどの野菜は全て まな板の上でトントン みじん切り・・・デス

ニンニクの 皮を剥いていたら 指先がヒリヒリその指で 顔をさわったら 又ヒリヒリ 
物凄く 手間のかかる作業に 只びっくり。
まな板は 器のように凹んでいた。
冷蔵庫も 今の家庭用よりも小さくて 多くは仕込めない。
いつも いつもキャベツ刻みに もう~いやだ~と思った。(内緒にしとこ~)

餃子を看板にしたのは長樂が最初だったらしい・・・( 50年ぐらい前に)
当時は 一般の人もあまり馴染まない食べ物だったとのこと。
餃子の店として 5年程たってから 私が長樂に来たわけだから ちょっとは知れ渡ってからだ。
その後 山中の餃子屋だけで 郵便も届くこともあったりして 
皆さんに知って貰えるようになり ありがたいことです。

同じころ 餃子は ラーメン屋さんのR軒さん M軒さん そしてN京さんも作ってました。

山中温泉が 凄く賑わっていた頃の 話です。(●^o^●)
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by choraku2 | 2010-03-12 15:59 | 思い出すんね~
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懐かしい~。 
今日のお昼 掃除をしてたら たっぷりと埃をかぶった登山靴が
 
6年ぐらい前までの今頃は これで白山や 白馬を可愛らしい花を見に 
そして素晴しいご来光にと お世話になった登山靴

私は 高価な宝石や服は 何も持っていません。
全々興味がないと言った方が正解です。

ですから奮発して買った 私の唯一の宝物が この靴なんです・・・

あれから 足を入れることもなく 隅っこに ほったらかして・・・

もう 高い山には登れないだろうけど 履いてみたくなったわ~
お父さん また 散歩みたいのでいいから どっか行こう・・・ 

  (かなり良くなったけど どうか足の痛いの 治りますように・・・)
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by choraku2 | 2007-07-20 22:43 | 思い出すんね~

餃子は長樂と皆様から可愛がられて40数年これからも美味い餃子つくりに邁進します。


by choraku2